映画『人生フルーツ』が本当に素晴らしかったので語ります。
予告編はこちら。
これから書くのは、この映画から受け取った個人的感想です。
この映画には人によっていろんな共感ポイントがあると思うので、これはあくまで私の見方。
ネタバレ(あんまりないけど)気にせず書き散らかしますので、まっさらな状態で見たい人は読む前に映画見た方がいいかも。
「自分で、やってみる」を積み重ねた暮らし。
津端修一さん・英子さん夫妻は90歳と87歳。
畑には70種類の野菜。木々には季節のフルーツが実ります。
敷地内には雑木林があり、風が吹けば落ち葉が落ち、それを集めて土をつくる。
季節の野菜は食卓に。フルーツはジャムに。特別な日には餅つきも。
英子さんは手仕事が好き。修一さんは毎日友人知人に手紙を書き、自転車でポストに向かう。
そんなふたりの日常の暮らしが描かれます。
劇中で何度も繰り返される言葉。
できることを楽しみながら、実践・実験すること。
修一さんは建築家として、山と雑木林を残し風が通るニュータウンを設計しました。
しかし経済優先の時代の中、それは実現しなかった。
理想は現実の前に、必ずしも実現しません。どんな仕事でも、こういうことはよくある。
そんなときに、まず自分が、やってみるということ。
修一さんたちはニュータウン内に土地を買い、雑木林をつくり畑をつくり、小さな家を建てて生活をはじめます。
あいつらはわかってない、と批判をするのは簡単。
でも「やれる範囲で、やってみる」人こそが次の可能性を生み出せるのだと、ふたりの暮らしは教えてくれます。
そしてさらに大事なのは、ストイックになりすぎず、ユーモアをもって楽しみながら実験的にやるということ。
ふたりの畑や庭は、ユーモアにあふれています。くすっと笑ってしまう、修一さんのつくる黄色い看板はその代表です。(あの看板マネしよう!と思った人は多いはず)
(写真は公式サイトより)
仕事でも、自分の基準に嘘はつかない。
後半には、90歳になった修一さんが出会った仕事が描かれます。
精神を病んだ人のための、病院施設の設計です。
「いつでも準備はできているんですね。道具も古びていなかった。さっとスケッチブックを出し、アイデアを出してくれました」
という担当者のお話に、修一さんの仕事に対する姿勢が見えます。
自分の基準を持ち、これは自分がやるべきと思ったときには金銭関係なく引き受ける。
それを90歳になっても貫いている修一さんに、目の覚めるような思いでした。
思想があっても、それをちゃんと仕事に反映するってなかなか難しい。
お金も必要だし、断ることには勇気もいる。
納得いかなくても、世の中のために本当にこれでいいのかと思っても、
「まあ、仕事だし…」と自分をごまかしていないか。
…うう、痛い。
社会に対して「こうなればいい」という理想をもっているなら、本当は仕事でも嘘をついちゃいけない。
「自分でやってみる」というのは、そういうことも含まれるんだ。
なかなかできることじゃないです。でも修一さんはそれを曲げていないんだろうな、と思いました。
積み重ねる年月の重み。
(写真は公式サイトより)
そうやって、「自分でやってみる」を積み重ねていった暮らしが、この映画で描かれる二人の日常です。
一見、ほんわか畑をやってる仲良し夫婦の話かと思うけど、全然そんな浅いもんじゃない。
もちろん映画を見て、素敵だなあ、羨ましいなあ、と思ったけれど、
同時に、こりゃあ大変な道のりだぞ、と震えました。
自分の基準をもって判断する。自分でやってみることを積み重ねる。手を動かす。
批判するだけでなく、人に強制するでもなく。
淡々とそれを何十年も続けた人だけが到達できる境地。
ぼおっとしていたら、全然たどり着けないぞこれは。
自分も明日から、いや今日から、やれることをやろう。と強く強く思ったのでした。
上映館が少ないのですが、ちょっと遠くても是非足を運んでほしい。
これを見て何も感じない人はたぶんいないはず。必見です。
東京では、ポレポレ東中野でのみ上映。平日の午前中でしたが、ほぼ満席でした。
津端夫妻の本も出ています。
[…] […]