映画「この世界の片隅に」。
素晴らしい映画だったのだけど、もうひとつ別の視点から感想を。
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映画『この世界の片隅に』ほんわか可愛くて怖い戦時下の日常の物語
この映画、当時の様子を大変丁寧に取材して作られたということなので、おそらく70年前の普通の人の生活は本当にこんな感じだったのでしょう。
だとしたら女としてはつらい。つらすぎる。
ということがいろいろあったので、そのまとめです。あー、現代にうまれてよかったなあ。
*ネタバレとか全然気にせず書いていますので、まっさらな状態で見たい人は読まないでね。
突然知らないところにお嫁にいくとか辛すぎる
突然来た縁談で、広島から呉へお嫁にいくことになったすずさん。
すずさんと周作さんの場合、実は昔に会っていた…的なロマンスはあるものの、とにかく求められて一方的にお嫁にいくわけです。
周作さんはいい人だし、お義父さんもお義母さんもいい人だったからいいけど、これ全然相性合わない場合だってたくさんあるでしょう。怖すぎる。
とりあえず現代、結婚しないとかできないとかいろんな問題はあるにせよ、知らないところに無理やりお嫁に行かされるという人はかなり少数だと思われます。素晴らしい進化です。現代でよかった。
家事が大変すぎる
結婚初夜…から一夜あけたら、嫁には明け方から家事が待っています。
急な階段を下ったところにある井戸から水をくみ、かまどで朝ごはんの準備。あのバケツ担いで階段上るのか…しかも毎日。ひえー、私には絶対無理!!と思いました。
煮炊きのために廃材をこまかくする、お風呂も薪でわかす、掃除は箒で。
野菜を育てている畑の世話、町内会の集まり、着物を縫い直してもんぺをつくる。
あたりまえだけどすべて手動です。電化製品はラジオくらいしか登場しない。
冬の土間は寒いだろうに…。もう一度言います。私には絶対無理だ。
家と家の結婚。長男を引き取れなかった径子さんのこと
周作さんのお姉さん・径子さんは、あの時代には先進的な「モガ(モダンガール)」。
仕事も自分で見つけ、自由恋愛をして結婚し、旦那さんと街で時計店を営んでいました。
ところが身体の弱い旦那さんが亡くなってしまい、戦時下の建物疎開で店もなくなってしまいます。
旦那亡き後、嫁が旦那の実家とうまくいかなくなるのは現代でもよくあること。径子さんは離縁して実家に出戻りますが、長男は引き取れず、長女だけを連れて帰ります。
長男は、「家」の跡取りだから。
径子さんほどの「モガ」でも、当たり前のようにそれを受け入れなくてはならなかった時代。
好きな人と結婚して産んだ自分の子を引き取れない(そしてたぶん2度と会えない)、そんなことを女の人が当然に引き受けていたんだな、と思うと暗い気持ちになります。
まあ現代でも離婚はモメることでしょうが、裁判でもなんでもしてやれるようになりました。大きな進化です。
日常のすぐそばに…リンさんから見る遊女の存在
すずさんが闇市からの帰り道、迷い込んだのは遊郭。そこでリンさんに出会います。
「また来るね」と言ったすずさんに、「こんなところ、そうそう来るもんじゃないよ」と言うリンさん。
呉は軍港の街ですから、陸に戻ってきた兵隊さんのために、当然のようにこうした遊郭は発展したのでしょう。
お金で女を買う、風俗の問題は根深い。歴史的にもどこの国でもずーっと続いてきていることだし、人間の営みとして、完全にやめろというのは難しいのかもしれません。
現代だってあるにはありますが、当時よりは厳しく規制されています。まして望まない女性が無理やりその仕事に就かされるのは論外。(悲しいことに、今もないとは言えないのでしょうが)
原作では、すずとリンにはもう少し突っ込んだ深い関係があるようです。そのへんも想像するとなかなかつらいものがありますね。
結論:人間は進化している。社会の成熟は素晴らしい。
たった70年くらい前、女の人はこんな待遇だったでのです。
すずさんは、生きていれば今は90歳代だとか。つまり、今生きている方々にも、若い頃こんな苦労をしてきた人がたくさんいるわけですね。
そう考えると、社会はずいぶん成熟したものだと思います。
現代バンザイ。電気よありがとう。現代にうまれて本当によかったなー