昨年からじわじわ話題の映画「この世界の片隅に」。やっと観に行けました。
軽い気持ちで見に行ったら、とんでもない名作だった。火垂るの墓に並んで、8月にテレビで放送して日本人全員見た方がいいレベルです。
どのへんから「ネタバレ」になるかわかりませんが、思ったままを書いているので、まっさらな状態で見たい人は読まないでね。
戦時中に生きる「普通の人」たちの日常の物語
舞台は1944年の広島。広島市から呉へお嫁にきた「すず」さんの日常を中心に描かれます。
突然の縁談で呉にお嫁にいくことになるすずさん。お嫁さんとして慣れない家事をこなしつつ、町内会の当番をしたり、親戚の子どもと遊んだり、たまに好きな絵を描いたり。
呉は海軍の軍港の街。徐々に空襲が頻発するようになっていきます。大切なものが失われていく中、それでも積み重ねられる日常。
広島に原爆が投下され戦争が終わっても、すずさんたちの日常は続いてゆきます。
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登場人物がみんなごく普通のいい人たちで、つづられる日常もありふれたもので。
のん(能年玲奈)さん演じる、ちょっとのんびり屋のすずさんがなんともかわいい。
ところどころ夫・周作さんとイチャイチャするシーンもあったりして。戦時下とはいえ、新婚さんですしね(照)。
それを見て拗ねてる出戻ってきたお義姉さんもかわいい。お義父さんもお義母さんも優しくていい人。
海軍の水兵さんになった初恋の人も周作さんとはキャラが違うけどいい人で、ちょっとやきもちをやきつつ二人の時間を作ってくれちゃう周作さんもまた誠実でいい人なんだな。
すずさんのお嫁さんとしての日常も細かく描かれていて興味深いです。
井戸から水をくみ、かまどで煮炊きをし、着物をほどいてもんぺを縫う。配給が少なくなってくれば野草を摘んでメニューを工夫する。
はたから見れば過酷な状況だけど、そこで生きる人々はその中でできることを工夫して、楽しみを見つけつつ日々を暮らしている。
戦争中でも、家族と冗談を言い合ったり、あたらしいごはんの炊き方に挑戦して失敗してとほほと思ったり、爆撃の炎の色を「ちょっとキレイだな」と思ってしまったり。
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たぶん、「普通の人」はこんな感じだったんだろうな、というのがすごくリアルに伝わってきます。
そして私だって、その時代に生きていたら「普通の人」だったはずで。
いつのまにか、あの街の、すずさん一家のお隣さんで暮らしているような気持ちになって見ていました。
そんなつつましい日常に、空襲や身近な人の死がすぐとなり合わせにあるという事実。
そう、人々が生きているのは日常だけど、やっぱり戦争は「異常」なんだと浮き彫りになるのです。
日常のなかに入り込む「異常」
戦争が終盤に向かうにつれ、身の回りの悲しい出来事が増えていきます。
すずさんも、すずさん一家も、ご近所さんも、大切なものを失う人が増えていく。
それでもみな、気丈に日常を続けます。
見ている私たちも、うっかり思いそうになる。
「すずさんは無事でよかった」「家族も命があってよかった」「もっと悲惨な人もたくさんいたはず」
と。
でもそれはおかしいんだ。
「よかった」?なにが?安心して眠れなくて、家族が目の前で死んで、自分もケガを負って、それのなにが「よかった」なの?
終始のほほんとしていたすずさんが見せる激しい叫びは、戦争という「異常」への怒りだったのだと思います。
今も世界中にある「世界の片隅」
戦争が起こっても、私たちは毎日ごはんを食べ、周りの人と関わり、日常を暮らしていく。
「普通の人」はそうするしかない。大事なものを失い、悲しくて、理不尽を感じて、怒りを感じても、そうやって生きていくしかないんです。
そしてそんな「世界の片隅」は地球上のいたるところにあり、今もすずさんと同じように、普通の暮らしをしながら死と隣り合わせでいる普通の人たちがいる。ということ。
これは決して過去の話じゃない。
それに、もしかして他人事じゃないのかもしれない。
原作も読んでみたくなりました。
あと、コトリンゴさんの歌がめっちゃいいです。映画の世界観にぴったり。
元曲はザ・フォーク・クルセダーズなんですね。